第21回 銃砲店は猟師のオアシス

 スコープがズレる理由を誰に相談したらいいか。そりゃあ、その道の専門家である銃砲店だろう。そう考えて、銃を買うときお世話になって以来、縁なく過ごしてきたことに気がついた。

 散弾銃ならシーズン中にも弾を購入しに行くのだろうが、ぼくは空気銃。最初に買った500発が、まだたっぷり残っている。いろんな銃や猟具を見てみたい気持ちはあるのだが、知識もキャリアもない自分なんか相手にしてくれないのではと、敷居の高さを感じていたのだ。そのせいで、ぼくはいまだに、銃砲店がどういうところなのかよく知らない。

 長野県佐久市にある佐藤銃砲火薬店まで行くことにしたのは、以前、ちらっと中を覗〔のぞ〕いたとき(滞在時間1分だったが...)、ショウケースに美しく並べられた銃が印象的だったからだ。例によって鳥の姿を探しながら、1時間半のドライブで到着した。

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 佐藤銃砲火薬店は昭和29年(1954年)創業。ご主人の佐藤厚美さん(68歳)は2代目で、20歳になるとすぐ狩猟免許を取得した、猟師歴48年の大ベテランでもある。

「私の祖父も猟をしたから、猟師としては3代目ということになるね。狩猟が身近だったので当然のように免許を取った。その頃、狩猟が流行っていたわけではないよ。猟師が増えたのは昭和40年代。昭和53年がピークです。その後はだんだん減って現在に至る」

 全盛期には長野県だけで50軒くらいは銃砲店があったのではないかと佐藤さんは振り返る。東京、北海道に次ぐ数だったという。

 長野県では昔から、大物猟は南信が本場。東信に位置する佐久市で鹿を見かけることはまずなかった。猟と言えばキジやヤマドリ、鴨など。

「あと野ウサギね。ウサギはおいしいですよ。鹿が増えたのは昭和60年代になってからで、その頃からイノシシや熊も含め大物猟が盛んになりました」

 南信を除けば、狩猟全盛期の猟は、おもに鳥撃ちだったのだ。そういえば宮澤さんもそんなことをよく言う。高度成長期になる前は、集落で祝い事があると猟師がキジを撃ってきて、ごちそうを作ったものだと。

「うん、そんな感じですよ。私などは、大人になったら猟をすると素直に思い込んでいました。そのうち男の趣味として流行るようになったんだね。狩猟人口が多ければ、銃砲店も増える理屈。北尾さんの住む松本だって、かつては何店もあったんです。佐久もそうだった。300~400丁の銃を、1シーズンに売ったものです」

 銃砲店は銃や狩猟具、弾の販売で成り立ち、店によっては射撃場の管理業務を行うところもある。猟銃のほか競技用の射撃銃も扱うが、狩猟をしつつ、スポーツとしての射撃を楽しむ人が多いので、猟師が減れば射撃人口も同時に減ってしまう。銃は大事に使えば一生もの。しょっちゅう買い替える必要はない。

「30年も前に買った銃をまだ使っている人もいますよ。手に馴染んだものがいいんだね」

 現在、佐久市には佐藤さんの店しかなくなってしまった。続いてこれたのは長年の信用もあるけれど、産業火薬を扱ってきた側面が大きいという。猟具とともに、工事現場などで使用するダイナマイトなどの販売が商売を支えてきたのだ。一方、産業火薬を扱わない銃砲店は、猟師減少のあおりをまともに受けてしまった。

「幸い、息子が3代目を継ぐことになったので続けることにしましたが、長野五輪以降は産業火薬の需要も減ったので、店を閉めようかと考えたこともあったよ。ただね...、銃砲店っていうのは銃や弾を売ってるだけの場所ではないんだよね」

 ん? それはどういうことなのか。

「用があればもちろんだけど、なくてもくる。喋りにくるんですね。銃のこと、猟のこと、獲物の自慢、どこに鹿がいるとか熊がいるとか。そういう話、家でしたって聞いてくれないでしょ。趣味の話がわかるのは同好の士。銃砲店は猟師のたまり場みたいな場所でもあるんです」

 猟師たちに熱気があれば、店もうかうかしていられない。銃砲店が猟師以下の知識では話にならないから勉強する。閉店時間を過ぎても話し込んでしまい、気がつけば深夜といううこともしょっちゅうあったそうだ。

 最近は客の滞在時間が短くなり、買い物だけして帰るパターン。それどころか銃砲店に近寄らず、通販で買い物を済ませてしまう人が増えている。もっと"場"としての機能を活かしてくれたらいいのに...。佐藤さんは残念そうだ。

 うーん、それはそうなんだけど、初心者はビビッてしまうんですよ。

「遠慮しなくていいんです。誰でも最初はわからなくて当然。いきなり獲りまくる人などいません。ほかの猟師と交流することで、情報も入るし、うんと世界が広がりますよ」